▼受験観
・受験は合格するから意味がある、逆に不合格というのは敗北であるという割合ストイックな認識だった。そのため合格、すなわち勝利に徹することにして、学問としての勉強は半ば放棄していた。点取りゲームに終始していた。
・こうした認識は高1のころからあり、それゆえあまり友達と遊んだり帰りにどこかに寄ったりということはしなかった。趣味は部活くらいなもので、部活のための練習か勉強をするかしかないような高校生活だったと思う。しかし、遊ぶとなるとどこかで不合格への恐怖があり、思い切りは遊べない性格だったとも思う。特に高校生というのは周りに誘惑の増える時期であるから、特段悪かったとも思っていないし、むしろこうした姿勢が合格を呼び込んだのではないかとさえ思う。
・実際に勉強をするにあたっては、どの教科でも、特に初期のころは答えをすぐ見て覚えることを意識していた。知らないものをいくら考えてもわかるわけないのだから、ならば暗記してしまうほうが効率がいいだろう、という意識に基づいていた。
・しかし受験中盤~終盤にかけてはむしろわかるまで考えること、粘り強さを重視するようになった。この変化はおもに東大数学や物理の難問に対応するためである。東大の難問などはいくらパターンを覚えても単純な暗記では通用しない、さまざまなパターンがある。粘り強く解き、解法を見出す訓練を積むしかない、といつしか確信していた。
・やったほうがいいことというのは無数にあるので、逆に何を捨てるか、という判断が大事と思っていた。そのため、大胆にも聞こえるかもしれないが、一部の教科はほとんど勉強しないこととしていた。割り切っていた。
・他の人がみんなとれるところで落とすのは一番よくない、と思っていた。そのため学習初期はとくに典型問題の暗記にどの教科も力を入れていた。
▼記憶観
・記憶は繰り返しにより定着する、という定説を信じていた。そのため暗記事項は本がボロボロになるまでひたすら繰り返し覚えようとしていた。いつでもやる、という意識が一番にあった。
・勉強する時間を決め、ルーティンとして暗記事項を勉強していた。暗記はつまらない、というのはある程度仕方ないので、機械的にやれるようにしていた。
▼モチベーション観
・モチベーションがあるときなら勉強できる、というのは誰でもそうであるから、モチベーションに左右されずコンスタントに勉強できるようになろう、と考えていた。
・しかし現実としてなぜか遊んでいる自分がいることもあり、時にその自己矛盾に苦しんでいた。どうにかしなくてはならないと思いいくつか対策を立てた。
・一つには、計画を立てて、できるだけ機械的に実行していくことで自分を律することができるだろう、という信念に基づいて毎日計画を立てるようにしていた。計画通りにいかないことも多かったが、人生計画通りということはめったにないし、計画を立てないよりははかどっていたとも思う。
・他には兄弟などに進捗を報告することも役立ったと思う。
・自分の高校はレベルが低かったのでライバルがいなかったが、他校の友人やネット上の東大受験生と東大模試などの点数を競うのは相当モチベーション向上につながったと思う。やはり自分と同等か少し上くらいの学力の人と競うのはいい刺激になる。
▼国語観
現代文
・東大の採点基準が分からない以上、あまり時間をかけないのが効率的と思っていた。そのため、特に2,3年ではほとんど勉強しなかった。
・自分の考えと違う考えについての文章を読み、筆者や出題者に忖度して回答をまとめるという行為に半端でないストレスを感じていた。そうしたこともあり勉強しなかった。
・模試の現代文は問題作成も自己満足にすぎないようなクオリティだが採点もひどい、と感じていたのであまり真剣に解かなかった。結果も気にしていなかった。実際、模試と本番で大きく点数に乖離がある人も多いので、この考えも割合信憑性のあるものだと思う。
古文
・はじめは文法や単語をひたすら暗記することに専念していた。前提を知らないと勝負にならない。
・古文常識も覚えようとしたが、コストパフォーマンスがそこまでよくないということであまりやらなかった。古文がつまらなかった、ということかもしれない。つまらないものを真剣にやってもストレスがたまるだけなので、やらなくていいならやらなければいいと思う。
・東大古文にあたっては、一般の勉強法ではコスパが悪いと思っていた。東大は(古文に限らないが)その場の発想を聞いてくることが多く、勉強量と点数が比例しないからである。
そのため過去問メインで勉強していた。
・東大古文においてどんな問題でも高得点がとれる、という状況になるのは相当の訓練が必要だが、そこそこで妥協するならあまり時間をかけなくてもできると思っており、そのため基本事項の確認と過去問くらいに留めていた。
漢文
・「漢文早覚え即答法」で基本事項を覚えると、あらかたの問題は解けるようになったのであまり力を入れなかった。
・東大の漢文は、その場の知恵を問うている、と思っていた。そのためあまり普段から漢文用問題集を真剣に解くというよりかは、たまに過去問を解く、というスタンスだった。そのくらいが効率いいだろう、と思っていた。
▼数学観
・高1、2のころは数学は暗記だ、という信念に基づいて勉強していた。どんな応用問題も基本事項の組み合わせに過ぎないので、青チャートや一対一対応の数学の問題を暗記することが重要だと考えていた。
・東大模試で伸び悩み、何が足りないか考えたところ、東大クラスの演習が足りない、という当たり前のことに気が付いた。そこからは意識を変え、東大に対応するには東大の問題が一番いいという美意識のもと、毎日東大数学一年分を解く、というハードワークをしていた。
・計算ミスは、自分のとれるところをみすみす落とすこととなるので恥ずべきことと思っていた。そのため、定期的に東大の重たい問題を解くなど計算ミスの訓練をしていた。
▼化学観
・化学は暗記が分野問わず大切だと考えていた。答えを覚え、再現できるようになることが重要で、それができるようになれば高得点で安定するだろうと考えていた。
・東大対策にあたっては、時間があれば解けるのは当たり前で、いかに早く計算ミスなく解けるか、ということを意識して演習していた。一度解いたセットでも、時間を短くして何度も解くなどして短い時間で解けるよう訓練した。
▼物理観
・物理も結局は解法暗記が重要と考えていた。そのため、名門の森など典型問題集の答えを暗記しようとしていた。
・東大の問題にあたっては、自分の中で物理体系が整理されてなくてはならない、と思っていた。そうでないとどこかで迷いが生じ、ミスが誘発されてしまう。そのため、少々高校範囲を超えてでも、できるだけ飛躍なく、論理体系を組み立てるよう努力した。理論の根幹を重視した。
・しかし現実として東大の問題ではスピードがないと解ききれない、まして本番では、とも思っていた。そのため化学同様、素早く解く訓練などもしていた。結局点数が正義なので、理論的な部分にあまり深入りしすぎないよう注意していた。
▼英語観
単語
・早めに覚えきってしまわないと戦いにならないものとして思っていたので初期は最重視していた。
・反復学習するしかないものも多く、システム英単語はボロボロになるまでやりこんだ。
・その一方で、鉄壁などを使い語源に注目するなど単純暗記を避ける努力もした。有意味暗記にできるならできるだけそうすべき、と思っていた。
文法
・学習初期は、文法が分からなくては英文が読めるべくもないと思い、文法書とネクステージの暗記に努めた。
和訳・精読
・精読ができないと長文が読めるわけがないと思っていたので、単語、文法を詰めた後は精読メインだった。きれいな訳ができるほうがいいに決まっているので、解答例を暗記できるよう努めた。
・あまりペンをもって訳を書く、ということはせず頭のなかで訳した。そのほうが長文読解につながるためである。また、頭のなかのほうが効率がよく疲れないという意識もあった。
和文英訳・自由英作文
・和文英訳は、まずは英文を大量に暗記するしかない、と思っていた。外国人の日本語が往々にして不自然であるように、いくら文法的に正しくとも自然とは限らないという考えでいた。
・自由英作文は、どんなにいい文章でもスペルミスや文法ミスがあっては減点にならざるをえないので見直しの徹底を意識していた。とれるところで点を落とすのはあまりにくだらない、恥であるという意識もあった。
長文
・長文は内容が理解できることと速読できることの二つで成り立っている、と考えていた。前者は精読訓練である程度身についていたので、後者の訓練を重視した。ここの順番が大事で、精読できない人がいくら速読しようとしても良い結果にはならないだろう、という信念があった。
・速読訓練にあたっては、毎日最低2長文は読むことにしていた。昨日の復習と新しい文章である。人は同じパターンを認知した回数が多いほど次同じものに出会ったとき早く反応できる、と思っていたからである。
リスニング
・日本に住んでいる人は日本語に囲まれて生活しており、英語を日常耳にすることはほぼないので、英語感覚を養うにあたって最重要だと思っていた。そのため毎日5分だけでもリスニング勉強はしていた。
・テクニック的な話になるが、本番はどんな環境となるかわからないので聞きにくい中でも集中する訓練が重要だと思い、遠くに音源を置くなどしていた。
▼模試観
・高1、2年のころはあまり力を入れなかった。東大模試が正義で、他で点を取ったところであまり意味はないと思っていた。
・東大模試で理一A判をとるのは当たり前で、理三A判が出るようでないと確実に合格するレベルとはいえない、と考えていた。その意識も勉強のモチベーション維持の一因となっていたと思う。実際、理三A判は取れなかったものの、それに近い点数を取れるようになっていた。その結果から、かなり合格に近いな、と思えるようになった。
▼塾観/予備校観
・塾、予備校には通っていなかった。参考書が最強だと思っていたためである。参考書と比べ、予備校は高いしクオリティも安定しない、と考えていた。
・しかし鉄緑会などは圧倒的クオリティのテキストを使っていて、正直うらやましかった。だから、そうした人たちに負けるものか、と気合をいれて勉強していた。ある意味、独学であることがかえってモチベーションにつながったといえるかもしれない。
▼参考書観/問題集観
・地方の非進学校で、塾にも通っていなかったなかできちんとした勉強ができる、唯一の素材で、頼れる相棒のような存在だった。
・学校の授業はもちろん学校ごと、先生ごと異なるが、参考書は全国どこでも同じ内容なので、そうした意味でも全幅の信頼を置いていた。
・参考書くらいしか頼れないので、参考書選びは非常に慎重だった。書店ではいいものがそろわないのでメルカリやアマゾンを活用し、できる限りベストの教材を選ぼうとしていた。
金銭的にあまり余裕はなかったが、それでも参考書だけはあまり惜しまなかった。そこで惜しんで落ちては本末転倒だからである。
▼友人観
・学校の友人は、あまりレベルは高くなかったので刺激を受けることは少なかった。冗談を言い合って気晴らしをする相手くらいに思っていた。
・他校の東大を目指していた友人とはお互いよい刺激が得られていたと思う。上達にはライバルが必要、と思っていたので模試の話などよくしていた。友人とはいえないが、twitterやstudyplus上の受験生の成績や発言も刺激になったので、競い合える人を積極的に探していた。
▼学校観
・学校もレベルが低かったので、登校へのモチベーションは低かった。しばしば休んで家で自習していた。卒業さえできればいい、と思っていた。
・定期テストは課題を暗記するだけの無意味なテストだったので、勉強せず受けていた。
無論勉強する価値はそれなりにあったと思うが、それはどんな勉強法でもそうだし、受験というタイムリミットがある中では結局効率が大切だ、と言い聞かせ周りと違う行動をとっていた。
・教師に何かと目をつけられてしまっていたため、息苦しい生活であった。しかし教師の言うことを聞いているだけでは東大に合格できないともわかっていたので、割り切って内職に専念していた。
・教師に屈服してそれなりに楽しく三年間を過ごし、いい成績をとっていたとしても10年もすればどうでもいいことになってしまうし、学校の成績なんてどんな企業も評価してくれない。それなら三年間耐えて東大に行ったほうが得。そういった意識があった。
▼部活観
・部活は楽しかったので真剣にやれていた。唯一の息抜きだったとも思う。受験においても一つ二つの息抜きがあったほうが効率があがると思っていたので、特に背徳感なく楽しんでいた。
・やはり高校内ではライバルがいなかったので、SNSなどで強い人を見つけ目標としていた。無理に現実の人付き合いにこだわらず柔軟に行こうという意識があったと思う。
▼その他
地理観
・共通テストでしか使用しなかった。圧縮の関係で真剣にやるのは馬鹿馬鹿しいとさえ思っていた。そのため一月から勉強したが8割取れたのでそんなものでよかったと思う。
・共通テストがいいとある程度の安心感が得られるだろう、とも思っており、そのため直前は真剣に勉強していた。時間がなかったので特に計画的に勉強することに専念していた。
東大観
・東大が日本一、東大の問題が一番美しい、東大受験生が一番レベルが高いといういわば東大至上主義が根底にあった。そのため、東大にむけて勉強することさえも誇りに思っていた。また、東大以外の大学、特に私立は眼中になく、東大しか受けなかった。