①差をつける必要はない。合格最低点を超えるだけの知識量を身につけよ
「ライバルに差をつける」という発想は、上位でゴールを切らなければならない競技においてはしっくりくるものです。例えば、マラソンや100m走など。
一方、受験は”合格最低点”や”合格最低点を超えるだけの知識量”といった最低ラインをさえ超えれば合格するわけです。これは、マラソンや100m走の予選会で決勝進出のために必要なタイムを超えればよいといった状況に似ています。上位ゴールする必要がなければ確実に予選通過するためにはどうしたらいいかという安全策を考えるはずです。
この感覚が受験においても重要です。
上位合格しようと難問・奇問に手を出すのではなく、確実に合格最低点を超えるだけの知識を入れることに目を向けましょう。それが結果的に、差をつけた合格に繋がることもあります(が、上位合格自体にほぼ意味はありません)
②出し抜こうという甘い発想が基礎を疎かにする
「ライバルに差をつける」という発想には「他人を出し抜く」というニュアンスが含まれています。「他の人が知らない細かい知識を身につけ、他の人が解けない問題が解けるようになっておくことが重要」といった錯覚を抱いてしまっています。
しかし、そんなことよりも合格最低点を超えるのに必要な問題が解けるのに必要な知識を身につけることのほうが遥かに重要です。松濤舎の各記事で繰り返し記載しているとおりです。
そもそも「ライバルに差をつける」という文言は塾・予備校の宣伝文句として登場したのではないかと思います。「うちの授業を受講すればライバルに差をつけられる」といった謳い文句は、不安を煽り、いかにも塾・予備校に通えば出題可能性の高い問題を教えてもらえるような感覚を与えられるからです。しかし、出題を予想できるはずがありません。
強いて言うなら、典型問題がもっとも出題されうる問題と言えます。典型問題のどれが出題される可能性が高いのかはわかりませんが、典型問題に帰着されるような問題の出題可能性が最も高いわけです。なぜなら、典型問題は当該範囲の学問の本質理解を問う問題だからです。
塾・予備校の授業は単位時間あたりに扱える問題数が原理的に少なくなってしまうため、結局は数少ない授業に賭けるのか、典型問題を網羅的に身につけることに賭けるのか、という話になります。合理的に考えたら、数少ない問題にべットするのはリスクが高いですね。個別株への投資とインデックスへの投資の違いに近いです。また、網羅的に解くことが当該範囲の理解が深まり、指数関数的に応用範囲が広がるのも、典型問題を網羅すべき大きな理由の1つです。
③ライバルを気にしたところで行動は変わらない。結局は自分・時間との戦い
ライバルを定義するとしたら「合格最低点以上の知識量を持った人」となるでしょう。では、そんな人が日本のどこかにいたとして、自分が今やるべき勉強や行動を何か変えるべきでしょうか? 当然、何も変えるべきでは何もないですよね。
つまり、ライバルなんてものを意識する必要は1ミリもないわけです。
ライバルといった(架空の)存在はモチベーションを上げる以外に存在理由はなく、ライバルを意識することで誤った勉強に繋がるリスクのほうが高いわけです。
結局、受験とは「時間内にどれだけ知識量をつけられるかの戦いであり、自分との戦いである」という、松濤舎が繰り返しお伝えしている結論に行き着くのです。