計算ミスをする人は、なぜ数学の点数が低いのか?
計算ミスをする人は、押しなべて数学の点数が低い。
それは「計算ミスで点数を落としているから当然」と思うかもしれませんが、よく答案を見てみると、計算ミスだけが失点原因ではありません。解法暗記もできていないのです。
つまり、「計算ミスが原因で、数学の点数が取れない」のではなく「数学で点数が取れる状態になっていない(=使える解法が少ない)から、計算ミスが多い」のです。
数学の問題を解く行為は「高次な認知活動」である。計算ミスは複合的な要因によって発生する
まるで計算ミスを治すサプリメントのように計算問題集を追加しようとする人がいますが、計算力を部分的に補強することはできません。
つまり計算ミス単体を治すことができないということなのですが、その理由は、数学の問題を解いているときに頭の中行っている処理について知ると見えてきます。
数学の問題を解いているとき、人は下記のような処理を行っています。
- 問題の意図を理解する
- 過去に解いた問題との類似性を探す
- 解法を記憶から呼び出す
- どの解法がもっとも適しているか考える
- 行ってよい操作(公式など)を思い出す
- 計算する
- 計算ミスがないかチェックする
- 考慮漏れがないか確認する
- 次の展開を予想する ・・・
上記のような複数の処理を同時並行に行っています。つまり、大変複雑で高次な認知活動を行っているということです。厳密には項目は遥かに多く、処理も複雑ですが…
解法を思い出すことの認知的負荷を下げなければ計算ミスは発生し続ける
先ほどの脳内活動を整理すると、次の2つにまとめることができます。
- 過去にやった問題との類似性を見つけ、解法を思い出す(≒解法暗記)
- 実行する(≒数式計算)
残念ながら、脳はパソコンと同様、一度にさばける処理量には上限があるため、どちらかの処理がスムーズに行えなければ他の処理に割り振れる認知容量が少なくなります。
つまり、計算ミスを頻発している人は、そもそも「1. 過去にやった問題との類似性を見つけ、解法を思い出す」がスムーズにできていないせいで「2.実行する」プロセスに十分な認知容量が割けていない可能性がある、というです。
逆に、解法を素早く思い出せる人は計算に十分な注意を向けることができるため、必然的に計算ミスが減ります。
このように、そもそも解法暗記が進んでいない人が計算練習しても根本的な解決にはなりません。確かに計算処理がスムーズに行えるようになるに越したことはありませんが、解法暗記も増やさなければ計算に割けられる認知容量が不足し、計算ミスを乱発してしまいます。
計算練習は当然必要。量や時間より、まずはパターンの網羅が計算ミスに効く
計算練習は不要かと言ったら、当然そんなことはありません。計算がスムーズにできる人は計算処理に使う認知容量が少ないため、次の展開の見通しを考えながら問題を解いていくことができます。結果、素早く問題を解くことができるようになるのです。
「計算が遅いんです」と言っている人の多くは、実際は解法の見通しが立っていなくて手が動くのが遅いだけのケースも多いです。手を動かして計算するスピードの違いはたかが知れています。それより、問題を見た時にすぐ手が出るか、式展開が一段落したあとに次の展開に素早く持っていけるか、という方が差がつきやすいのです。
計算練習といっても、むやみに計算練習の量を増やしたり、時間を測ってタイムトライアル的に勉強するのは、体育会系すぎて非効率です。計算問題にもパターンはあるのですから、網羅的に解けるようになることを優先しましょう。
例えば、三角関数の積分であれば、必ず∫sinθdθ, ∫cosθdθ, ∫tanθdθの3つが解けるようになっているか確認する、などです。
この網羅性が担保されない状態では、いくら計算練習の量を増やし、時間を測って解いたとしても、計算ミスは減らないでしょう。
典型問題のパターン網羅が計算ミスの減少にも貢献する
ということで、典型問題を網羅的に解けるようにすることが、間接的に計算ミス減少に貢献することを忘れてはいけません。
計算ミス対策からの教訓:創発的に成績が伸びるのは他科目でも同様
数学以外にも同様のことが言えます。
- 化学の計算ミス・・・化学の典型問題が解ける状態になっていないと発生しがち
- 物理の計算ミス・・・物理の典型問題が解ける状態になっていないと発生しがち
- 英語のリスニングができない・・・語彙量が足りていないと発生しがち
- 英語の要約問題ができない・・・多読量が足りていないと発生しがち
- 英語の速読ができない・・・リスニング対策が足りていないと発生しがち(音韻処理が自動ができていない)
- 英語の語彙量が少ない・・・長文読解量が少ないと発生しがち
上記のように、原因と結果が複雑に入り乱れています。
つまり、部分ができるようになることで総合的にできるようになるのではなく、総合的にできるようになることが部分的な能力も押し上げるといった構造になっているわけです。
また、部分の総和が全体そのものを大きくします。このような状態を「創発」といい、全科目において見られる現象です。
「不足している部分だけをやる」ことは時に効果的ですが、「全部をやることで他の部分が上がる」ということも忘れてはいけません。